今日で、交通事故に遭ってから10年・・・
9月3日は私にとって忘れられない日
今から10年前、歩いている時に、ふっとあの車変だ。嫌な予感がして、端に立ち止まって避けていた所に、
ノーブレーキの車にはねられ宙を舞った。映画か?ってくらいに飛んだ。
全てがスローモーション。
運転手の、信じられないと言う恐怖の顔が今でも忘れられない。
私の方が信じられないが…
グシャっと音を立てて自分が地面に落ちる音も忘れられない。
運転手が、飛び降りてきて、私を強く揺さぶり
「すみません!!!前を見ていませんでした!!!大丈夫ですか?!起きてください!!」パニックで叫び続けていた。
「揺さぶるな!大丈夫!落ち着いて!救急車呼んで!」そう言うのが精一杯だった。
運転手は我に返り、道路に大の字で横たわる私をそのままにして、近くのお店に助けを求めて駆けて行ってしまった。
ちょっと!?私ここに置きっぱなし!?マジに!?次に車来たら、轢かれちゃうよ!?
ここ、道路の真ん中だよ!?
身動き出来ずに、どうする事もできず、どうとでもなれ!の気分になった。
二次災害♪二次災害♪動けない二次災害♪と呑気に心の中で歌っていた。
しばらくして、事故に気が付いた買い物客たちが、車の交通整理を始めてくれた。
私の散らばったカバンの中身や靴を拾い集めてくれて、私の周りに気の毒そうな顔をしながら置いてくれた。
私は、全身が動かなかったので、目だけキョロキョロ👀
見物人が20人位の中央に私が横たわる異様な光景。
そして、その中央で、なんと!私は嘔吐!
口の中を切っていたので、まるで血を吐いた?!様に見えた(笑)
超ロングの髪の毛が、顔面から首に絡みつき、血を吐くって、まるでホラー(笑)
こんな注目は浴びたくない!超恥ずかしかった。
小学生が「あの人死んじゃうの?」母親が慌ててその場を子供の手を引き去っていく。
いや、殺すな!生きてるわ!(笑)
救急車に載せられ、病院へGO!
診察で、ケガの箇所を見るので、ほぼ裸にしてくれました。
その時ですね・・・連休中だったからって言い訳ですが…
ゆるぅーい、かなりシオレタ下着を着ていたんですよ。
こんなにもシオレタ下着を人様にお見せする事になるなんて・・・
見えない所もちゃんとしよう。レントゲン撮られながら思いました。
かなり結構な大けがで、1年は休職。
どう生きていたか、何をして生きていたか、何を考えて生きていたか、壮絶すぎて殆ど覚えていないが、
500mlのペットボトルも持つ事が出来ず、お箸も持つ事が出来なくなっていた。
痛みと苦しみとどうやって生きて行けば良いのかわからなかった。
最初の半年は、30分も起きている事が出来なかった。
脊髄専門のお医者様にお世話になり、何とか元に戻りたい気持ちで通っていたが「痛みと上手に生きて行こう」と諭された。
号泣する私を、お医者様が優しく撫でてくれた。優しくされると益々号泣!(´;ω;`)ウゥゥ
何とかしたかった。でも、どうする事も出来なかった。
殆ど寝たきりで生活をしていた。
次の2年目は、休職と復職を繰り返し、顔面の痙攣をマスクで隠し、職場のデスクに1時間席に座る事が精一杯だった。
何とか杖を使って歩いたが、杖が重くてそれだけでも負担だった。
色々な民間療法も試した。良いと言われる所には数え切れない程行ったが、全然良くならない。
常に船酔い状態で、吐いてしまうのでエチケット袋をいつも握りしめて生活していた。
3年目に、ここで良くならなかったら、もう諦めようと思った「バランス活性療法」の整体「自然整体院 桑原」に行ってみた。
なぜかそこに行けば何とかなると感じたんですよね。
始まったとたんに、経験した事の無い深い深い夢の中へ入って行った。
常に、耳鳴りとメマイ、荒波の中の小型船に乗っている様な揺れ、吐気、頭痛、顔面の痙攣手のしびれから解放された。
3年間の苦痛から、解放された。その日からエチケット袋も手放せた。
帰り、母の前で、杖を使用せずに歩いて30メートル先の自動販売機まで歩いた。
私が歩いている姿を見て、母が号泣していた。
母は自分のせいで私が事故に巻き込まれたと思っていたからなんですよね。
母が買物に行く用事があり、では私が付き合うよと、お店で待ち合わせしていたから。
何度、お母さんのせいではないよと伝えていても、心を痛めていた。
どれだけ心配をかけていたのかな・・・
その日から、バランス活性療法を信じて通った。
1か月は、毎日通った方がいいと言われたが、毎日通う事は金額的に厳しい。
そんな私の心を察してか、「お金なんて人生後から付いてくる。良くなればまたお金は回ってくる。
俺の生きている内に払ってくれればそれでいい」
どうしてそんな優しさをくれるのだろうか?
「ほっとけないだろう」と。
私はどん底になると救ってくれる人がいるんだなと感謝しかなかった。
その言葉に甘えさせてもらった。
歩けるようになっても、元通りにはならない。わかっているけど苦しかった。
2キロ以上の物を10分以上持つとその後、首の痛みと顔面の痙攣で寝込むので、自分の弱点を理解し気を付けて生活。
自分の限界値を良く観察し、少しずつ出来る範囲を増やしていった。
歩けるようになった喜びは大きかった。贅沢は言わない。これ以上悪くならない様に生きていきたい思いだった。
徐々に出来る事が多くなってくると、バランス活性療法の素晴らしい技術を習得してくなっていた。
この技術を持っていたら家族が困った時に役に立つ。
バランス活性療法は、女性でも出来る力のいらない技法なので、ハンディーがある私でも出来るので、やらないのはもったいない!
そんな思いで、救ってくれた先生の元「バランス活性療法」に入門し、整体師になった。
無謀だと自分でも思ったけれど、何もできない自分で居るのが嫌だった。
前を向いて生きたかった。
水戸に住んでいる頃に自宅サロン「ここね」をオープン♪
っが、まだまだ身体は無理を出来ず、仕事もしていたので、土曜日に1人だけ。
次の日は身体を休める日にした。
無理をして身体の痛みで苦しまない様に調整しながらスタートした。
「ここね」の話はまた後で書きますね。
5年目になると、無理をしなければ休みながらですが生活を過ごせる様になったが、
自分の趣味としていた読書と編物が再開できずのままだった。
暇さえあれが本を読んでいたのに、事故後は読書をすると目が疲れ首と頭の痛みで断念。
定年退職したら、編物を楽しむつもりで長い間習っていたのに、編物も無理になった。
楽しい未来を描く事が出来なくなり、どうしたもんか?と悩みも出てきた。
少し良くなると、欲が出てくる。何か楽しみたい。
今まで当たり前に出来ていた事が出来ない。
苦しいと感じるが、まぁしょうがない。出来る事を探すが、なかなか見つからない。
そんな生活を送っている時に、少し休もう。
一度みっちりと身体を休ませようと思う様になった。
仕事を辞めよう。つくばで仕事をしている夫の元へ行く事を決意。
28年勤めた会社を退職し、水戸からつくばへ移住♪家も売却し、つくばへ♪
仕事を辞めて人生初の専業主婦。
やる事がない・・・友達も知り合いも誰もいない。だから家でゴロゴロ過ごす。
結果的に、意識せずに静養期間を送れたので、身体が変化し出来なかった事が出来る様になって来た!
少しの無理も利くようになってきた!
体力付けよう!時間が有り余っているので、つくばは平坦な街並みなので、自転車に乗って買物にも行くようにしてみた。
ゆっくりと、疲れたらベンチで休む。
帰ってきて、ヘロヘロになったらお昼寝する。
自分の身体だけを見て過ごす。貴重な静養する時間を過ごせた。
無理はできないが、次のステップに進んだ気がしてパートもチャレンジ🌼
重い物は一切持てない。長時間歩く事はNG等の条件でしか働けないが楽しんだ。
このまま、何もしないのは嫌だな。
元々、石を扱ってヒーリングをしていたのもあり、いつか石を扱う人になるんだろうな?という気がして生きていた。
ある日ネットサーフィンをしていると、ワイヤージュエリーの世界を知った💎
私、これ仕事にする!
なんの根拠もないのに、そう決めてました。(笑)
やるって決めていても、障害を抱えて私に出来るだろうか?
不安しかない。ペンチとか持って作れるのだろうか?
ダメだったら諦めよう。やらないで諦めるのはもったいない。
とりあえずやってみよう!!!
そして、ワイヤージュエリーの世界へ飛び込みました。
初めてのレッスンの日。楽しかった!!!
久しぶりの「無」を経験。
あっという間の3時間だった。
帰り道、忘れていた心地よい放心状態に包まれていました。
石がただただ綺麗。魅了されながら創作する喜び。出来上がる喜び。
こんなに素敵な事を仕事にしたい。
3時間位のワイヤージュエリー制作なら身体に負担が掛からずに出来た事もあり、これならできる!と夢中になった。
元々弱い記憶力が(;´・ω・)事故で頭も打っているので、覚えようと思っても抜けてしまったりするから覚えられるのかな?不安がいっぱい。
でもやりたい!!!
身体が疲れたら横にならないと全身の痺れも出てしまうので、やる事の明確化。
時間配分を考えての制作になりますが、作れる事だけでも幸せと思いました。
それまでも、石を使ってヒーリングやブレスレットの販売はしていましたが、深い知識はあまりありませんでした。
もっと石の事を深く知りたい。痺れが出てししまう日は、石を眺めたり浄化したりして石を眺める時間が至福の時間となりました。
今日で事故後10年にります。
私は、事故前は、白と黒しかない冗談の通じないガチガチの人間でした。
職場の上司に「グレーを作れ」と言われても、悪い物は悪いのになぜ?と、とにかく白黒はっきりしないと気が済まない人間でした。
人生努力すれば何でも手に入ると思って生きてきたんですよね。
装いも、ガチガチの拘りでした。
靴はダイアナかオーダーと決めて、いつもヒールで走っていました。
コートだけでも50着は持っていました。
バックもブランドに拘って持っていました。
完璧じゃないとダメだったんですよね。
性格はかなり負けん気の強い自分でした。
今、思うと誰と戦っていたのかしら?と苦笑してしまいます。
誰に認められたかったんだろう?
事故に遭い、初めて人に頼ると言う事を経験し、努力ではどうしょうもない事を経験しました。
洋服?身体に楽な物しか受け付けなくなりました。
ヒール?ぺったんこの履き心地の良い靴になりました。
バックは物が入れば良いに変わりました。
一番の変化は、事故後、30キロ太りました。爆笑
実は、元々アスリートだったんですね。
運動が出来なくなったけど、食欲だけが残ってしまったんです。
その結果・・・大きくなりました!(笑)
運動をしていた時には、1キロ太ったら3日間プロテインだけとか、ストイック過ぎたんですよね。
今は、何食べても「美味しいね~」と幸せしています。
何でも許せるようになり、なんでも感謝に変わりました。
生きている事の喜びが大きく、自分で息しているだけで幸せを感じます。
事故に遭い、人生がガラッと変わりました。
事故後は記憶が無いくらいに辛かったけれど、今、とても楽しい♪
事故に遭い自分の鎧を外した感じがします。
ありのままの自分で良いんだと思えます。
そう感じさせてくれたのは、ワイヤージュエリーで石と真剣に向き合ったから変化があったからです。
まだ、疲れてしまって寝込んでしまう事も多いけれど、ワイヤージュエリーを作れる喜びがあり夢中になっています。
自分が出来る事を真剣に向き合える喜び。本当に幸せです。
今でも身体が自由にならない時がある私でも、ワイヤージュエリーを作れる様になりました。
自分なんて・・・とか思っている方にも是非興味を持っていただきたい。
どんな事でも興味がある事に対して勇気を出して一歩進めば何かが変わると思います。
自分の思い描いていた結果にならなくても、何か人生は変化すると勝手に思っています。
講師となった今、ワイヤージュエリーの事をもっともっと勉強して生徒さんにお伝えしていきたいと目標にしています。
生徒さんが作りながらキラキラ✨と輝く顔を見るのがとても幸せを感じます。
11年目の目標も大きな目標ではなく、一つ一つ小さな目標を考えて達成していきたいです。
何か気になる天然石がありましたらお気軽にお問合せ下さい。
自分に合う石がわからない等のお悩みがある方もお気軽にお問合せ下さい。
Studio Kururiでは、Gem Stones カウンセリングを通して自分に必要な天然石を探すお手伝いをさせて頂いています。
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