【自分の時間に、ちゃんと戻る🍃】
──久しぶりの外出と、心に触れる服と、ニヤッと笑える端切れワッペンたち
今日は、ほんとうに久しぶりに「自分のための時間」を過ごしてきました。
母の体調が心配で、ここしばらくは気の抜けない日々が続いていました。
やらなければならないことはたくさんあって、つい自分の気持ちや感性を後回しにしてしまう。
でも、そうやって全部後回しにしつづけると、知らないうちに心がすこしずつ歪んでしまう気がして──。
だから今日は思い切って、時間を調整して外出してきました。
たった3時間。でも、どうしても行きたかった場所だったのです。
その場所というのは、私が大好きな服作家さんが出店するイベントの初日。
わずか30分の滞在、移動時間のほうがずっと長いという、まさに弾丸スケジュール。
それでも、「自分に戻る」ためのご褒美のような時間になりました。
👗 私がいつも着ている服は、ほとんどその作家さんの作品です。
私自身も少しだけ“造り手”なので、物を手に取ると、そこに込められた想いや空気感が自然と伝わってくることがあります。
初めてその方の服に出会ったとき、「無」になったような感覚がありました。
装飾的なエネルギーがなく、ただ、まっすぐな想いと静かな集中力だけが宿っているような──。
それがとても衝撃的で、気づけばその服ばかりを身につけるようになっていました。
🎨 作品づくりの話も印象的でした。
「夢の中で見た服を、そのまま形にしたことがある」
「制作中はゾーンに入って、気づけば朝になっていることもある」
──そのどれもに、私自身が感じてきた“没頭の時間”が重なりました。
作り手にとって、誰にも邪魔されない時間は呼吸のように必要なもの。
やりたいことを全部優先するのは難しいけれど、完全に手放してしまったら、心がどこかで曲がってしまう。
だから私は、できるだけ自分の「やりたい」「好きだ」と思うことを大事にしていきたいと思っています。
🧵 服の細部にも、その方の世界観がにじみ出ています。
羊のワッペンやクロスの刺繍。
ぱっと見たら「可愛い遊び心だな」と思うようなモチーフも、
実は糸から紡がれ、ひと針ひと針、丁寧に縫い込まれていると知って──
表現の奥行きに、改めて胸を打たれました。
👚 今日もやっぱり、その服を着て出かけました。
着るというより、「自分に還る」ような感覚。
忙しい日々のなかで、ちゃんと自分の感性を呼び戻す。
そのための時間だったと、帰り道にしみじみ感じました。
✂️ そしてもうひとつの嬉しい出来事。
イベント会場で、ちょっとした「おまけ」をいただきました。
それが、いろんな言葉が刺繍された“端切れワッペン”たち。
🟧「みんな言ってるもん」
⬛「いっぱい いっぱいです」
🟦「やなこったい」
🟧「手加減なしで来い」
どれも絶妙な言葉選びで、思わずニヤッとしてしまう、優しい笑いがありました。
忙しさやプレッシャーの中でも、こういうユーモアって心を柔らかくしてくれます。
真面目にがんばっている自分に、そっとツッコミを入れてくれるような、“笑えるお守り”みたいな存在。

💭 ふだん、家の中でこなすべきことに囲まれていると、
自分の気持ちがちゃんと存在しているのかさえ、わからなくなる時があります。
感性が枯れていくような感覚。
あれもこれも「やらなきゃ」ばかりが増えて、
気づけば、“わたし自身”が置き去りになってしまう瞬間。
それでも、「これが好き」「これを見たい」「これを着たい」──
そう思えるものが、自分の中にまだあること。
それは、感性がちゃんと生きている証拠だと思います。
今回の外出は、ほんの30分の滞在だったけれど、
あの服を選び、電車に乗って、会場の空気を吸い込んで──
その一連の流れの中で、自分の輪郭が少しずつ戻ってきた気がしました。
そうか、こうやって「わたしに還る」んだなって。
好きなものに触れるということは、
ただ楽しいだけじゃなくて、「自分を取り戻す」ためのスイッチでもあるんですね。
⏳ 今日の外出はほんの30分。
だけど、行けて本当によかったと思います。
移動時間のほうが長くても、疲れていても、
「やりたい」と感じた気持ちをちゃんと拾ってあげたことが、何より大きかった。
これからも、やりたいことをやらずに我慢するのではなく、
時間をかけてでも、調整してでも、「自分の感性」に触れる時間を大切にしていきたい。
それがきっと、誰かのために動き続ける自分自身を、静かに支えてくれるはずだから。
心の栄養を、忘れずに。
今日もありがとう🍃
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